電話占いの歴史

そもそも占いは、人類が文明を作り出すとともに生まれたとさえ考えられるものです。

占いや電話占いの歴史は人類の歴史を重なるほど長い歴史を持つということです。

人類が文明的な歩みを始めた当初は、集団で生活をしていましたが、自然災害や飢饉、外敵などによって、生活や命が左右されることの多い時代でした。

そのため人類は、このような生活や命を脅かすものから身を守る手段として、神の意向を尋ねたり、将来を予測したりする方法を得たいと考え、それによって生まれたものが占いでした。

例えば西洋の占いで代表的な占星術占いでいえば、その起源は古代バビロニアまでさかのぼることができるといわれています。

古代バビロニアの大規模な天体観測から、将来の動きや天候を読み解き、それを人々に役立てていたようです。

また、エジプトでは紀元前の2700年頃には、星と天の位置を重要視して、星を魂の導く道をともすものと考えていましたので、クフ王のピラミッドではそのあとを見ることができるようになっています。

また他の一説によれば、占いはそもそも、ユダヤ人によって研究発展をしてきたともいわれています。

これは、星の運行と法則、秩序に注目して、大自然の変化や人類の運命、将来について見通しを立てることを人類で始めて行なったのが、ユダヤ人によるものだといわれているということです。

これには聖書が大きく影響していて、旧約聖書マタイの福音書には、確かに天体観測が始まっていることをうかがわせる一文があります。

この天体観測が、現在でいう占星術へとつながっており、占いの発祥だといえるということです。

この考え方は、西洋や東洋のどちらへも伝わったと考えられています。

西洋に伝わったものは、西洋占星術として確立されていき、東洋へ伝わってものは中国で、それ以前からあった陰陽額や五行説と入り混じって、その後の四柱推命などへとつながっていくとされています。

このように、占いの起源ははっきりしていないというのが現状です。

日本での占いの原点

日本での電話占いは比較的わかりやすく、日本で占いを始めて利用したのは卑弥呼だといわれています。

当事邪馬台国の女王であった卑弥呼は、国の重要な問題を決定したりするときに占いを使用しており、占いによって出た「神の言葉」を国策に生かしていました。

その後は、日本を収めるのに使われた占いに、「太占(ふとまに)」と呼ばれる占いが使用されていました。

これは鹿の骨を焼いて、骨に入ったひびを見て将来を占ったとされている方法です。

もともとは中国の殷の時代に生まれた占いの方法で、他の占いの方法とともに日本に入ってきました。

飛鳥時代になると、亀の甲羅の模様によって占いを行なう「亀卜(きぼく)」や「式占(しきせん)」という占いも持ちられるようになってきており、この「亀卜」は亀の甲羅を焼いてひび割れを見たもので、式占とは「式盤(しきばん)」や「ちょく」と呼ばれる計算道具を使って占いをするものでした。

特に飛鳥時代の天武天皇は、占いによる国づくりを行なった天皇で、これは神の言葉を大いに国策に取り入れたということを意味していました。

その後も日本では、平安時代や鎌倉時代になると占いが大流行するようになり、さまざまな占い方法が現れてきます。

陰陽師といわれる占い師が出現し始めたのもこの頃で、有名な陰陽師安倍晴明は平安時代に活躍した一人になります。

その後、室町時代には占い学校が設立されるようになり、江戸中期になると、新井白蛾によって「易者」が生み出されました。

これは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉の元となった占いです。

さらに明治時代になると、高島嘉右衛門により高島暦が生み出されます。

この頃になると、占いは一部の人たちのものではなく、庶民のものへとなっていっていました。

現代では、インターネット占いや電話占いなどが登場し、占いを行なうツールがぐっと増えている状況です。

身近な占いなのでつい忘れてしまいがちですが、占いはかなり由緒正しいものだといえるというわけです。